法音院縁起

About “Houon-in”

真言宗泉涌寺派準別格本山法音院は、鎌倉時代末期にあたる嘉暦元年(1326)無人如導宗師によって泉涌寺山内に創建されるが、室町期応仁文明の大乱により当院も兵災焼亡の憂目に会う。
その後、江戸時代の初期寛文四~五年(1664~1665)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得、覚雲西堂師の手により現在の地に再建される。
書院は伏見桃山城の遺構の一部である。

寛文の再興以来、駿州田中城主本多家の京都における菩提寺となり本多氏の当主の位牌は幕末まで当院に安置されることになる。
寺内には正貫が建立した三河出身で徳川家康などに仕えた父本多正重の石碑 が、正貫・同夫人及びその家臣等の墓とともに本多山より移されている。

現在の本堂は英照皇太后(孝明天皇女御)御大葬の御須屋(御陵の上に設けた仮屋)を賜ったもので本尊はあらゆる人を救う羂索[投げ縄]をもつ不空羂索観音。
一面三眼八臂のお姿でもれなく人々を救済加護し、あらゆる困難・苦難・災難から救ってくださる観音様である。

洛陽三十三観音霊場第二十五番札所であり、泉涌寺七福神の寿老人を祀る寺として信仰を受けている。